Völuspá 56

Þá kemr inn mæri
mögr Hlóðynjar,
gengr Óðins sonr
við orm vega,
drepr af móði
Miðgarðs véurr,
munu halir allir
heimstöð ryðja;
gengr fet níu
Fjörgynjar burr
neppr frá naðri
níðs ókvíðnum.

その時、栄えある者は来た
ロージンの子、
オージンの子は行く
オルムルと戦い、
ミズガルズルのウェーウルル、
全ての人々は考える
農地を一掃する。
9歩行く
フョルギンの子
短くヘビに前に
反逆の怯えることなく。

語彙や構文を鑑みるに、後世の挿入が疑わしい聯。やけに長い。三つの固有名詞Hlóðyn, Miðgarðr, Fjörgynは、おそらく全て「大地」を指す語である。そして、ここで出てくる「子」は、定説としては、「大地の子」=Þórrである。しかし、言い換えを避けるのならともかく、人名を一度も出さないというのはどうなのだろうか?

そして、誉れ高き者、ロージン(Hlóðyn/母なる地)の子が来る。
オージン(Óðinn)の子はオルムル(orm/蛇、竜、蛆)と戦いに行く。
ミズガルズル(Miðgarðr)のウェーウルル(véurr/守護者)は、怒りに任せて打ち付ける。
全ての人々は、家々を一掃しようとする。

フョルギン(Fjörgyn/母なる地)の子は、怯まず、
破戒の蛇(níðs naðr)から、わずかに9歩だけ歩く。

予言もここに極まれリ、という感じである。例えば、この「9歩」がどういう意味なのか、という手がかりはほとんどない。他の文献とつき合わせると、ここはÞórrが蛇と相打ちになるシーンなので、「蛇を倒したものの、怪我がひどい、あるいは毒にやられて『9歩』歩くかどうかのあたりで死んだ」というのが最もありそうな解釈であるが、もし本気でその状況を描写しようとしていたのなら、あまりにも舌足らずという他はない。どうとでも解釈できてしまうし、しっくり来る答えは無い。

その前の「全ての人々は、家々を一掃しようとする」も、日本語として十分こなれているとは言い難いが、どう解釈したものか迷う。もし一掃されるのが人なら、「人々が自発的に避難して、農村から人が消える」という意味かもしれない。

もっとも、元々の表現が曖昧、というよりは、我々の語彙力不足で、曖昧にしか捉えられないのが最大の原因である。

「たぶらかし」で収録されているバージョンは、行数がまともな代わりに、いくつかの内容が削られている。

Gengr inn mæri
mögr Hlöðynjar
neppr af naðri
níðs ókvíðnum;
munu halir allir
heimstöð ryðja,
er af móði drepr
Miðgarðs véurr.


高貴なる者、ロージンの子は、
わずかも怯まず、破滅の蛇に立ち向かう。

全ての人々は、家々を一掃しようとし、
ミズガルズルの守護者は、怒りに任せてそれらを撃つ。

冗長な表現を省いているのはともかく、「9歩」が削られてしまっている上に、場面の時刻が戦闘後から戦闘前に移っているようである。といっても、どちらがより新しいのか、というのは難しい問題ではあるのだが。常識的に考えると、全体としては「巫女の予言」の方が古い。しかし、写本の時期は新しいので、途中でどれくらい増えたか、特にアイスランドに来てどれだけ増えたかが不明である。

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