Völuspá 38

Sal sá hon standa
sólu fjarri
Náströndu á,
norðr horfa dyrr;
falla eitrdropar
inn um ljóra,
sá er undinn salr
orma hryggjum

彼女は館が立っているのを見た 太陽から遠い、
ナーストロンドで、 扉が北を向いている。
毒の水滴が落ちる 天窓を通って中に、
それは巻きかれた家である 蛇たちの背骨に。

彼女は見た:
太陽から遠く離れたナーストロンド(Náströnd/死者の浜)に、
扉が北を向いた館が建っている。
天窓から毒液が中に滴り落ち、
建物にはオルムル(ormr/蛇、竜、蛆)の背骨がいくつも巻きついている。

この節は、sá honは過去時制であるのに、残りは全て現在形であるので、現在も続いていると思われる。

何が言いたいのか、はっきりしないが、日当たりの悪さを強調しているように見える。註で述べたように、おそらく、この家には、出入り口が天窓と玄関しかない。その玄関をわざわざ北向きに作っているのも、直射日光を避ける為だろう。

この節を読むと不思議な感じがする。 それは、37節と話が繋がっていないのに、文章構造がかなり似ているからである。37節は黄金とビールで軽妙かつ通俗的な雰囲気を醸し出しているのに引き換え、こちらの節は、おどろおどろしい。それでいて、どちらも「家が建っている(salr standa)」という内容である。

この感覚は、8節と17節の関係にも似ている。どちらも「3人が来るまでは」という表現を使っておきながら、その「3人」も「来た時」も互いに全く関係が無かった。もし、ドウェルガタルがなければ、8節の次が17節だったはずなので、37節と38節の関係とそっくりである。

裏付けの全くない、私独自の説だが、多分(よりオリジナルに近い)巫女の予言の表現を利用して、「作文の練習をした人」がいる。おそらく、当時ですらルーンが書ける人はさほど多くなかったので、「書き写した人」はその習作も同時収録してしまったのだろう。だから、ストーリーが続かないのに、表現が同じという奇妙な現象がおきている。「3人が来る時までは」や「館が建っていた」という表現を見た人が、「3人」や「館」の出てくる別の逸話を、無理やり同じフレーズ(「3人」+「来る時までは」、「館」+「建っていた」)で作文して挿入してしまったのだ。

上の意訳は世間の調和を壊さないやや大人しめの解釈である。

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